女性だからこそ、納得して読める?
児童文学は女性だけしか書けない作品、そう考えている人もいるだろう。実際のところはそうした体験談を元にして、女性だからこそ見えてくる風景は当然ある。それが児童文学として、子供の視点に合わせたものとして強く、大きく影響を及ぼす作品が多いのかもしれない。もちろんそうした作品ばかりでもない、中には男性と思わせるような世界観で男女ともに愛される作品を作り出す人もいる。人によってどんな作品が一番気に入るかは、結局のところ誰にも決められないというふうに位置づけられてしまう。
ただ児童文学と呼ばれる作品カテゴリーは一般的な文学ジャンルであると、そう位置づけるのは少しばかり無理がある。文学として『児童』と、そんな風に定義されているとやはり誰を対象とした作品となっているのかと、そんな偏見を読み手に少なからずもたらしてしまうものだ。仕方のない事だが、果たして本当に児童文学と呼ばれる作品が子どもたちが読むためのものと、そう断言できるだろうか。筆者としてはそれに対しては全力で否定的な意見を出さざるをえないと判断してしまう。というのも、数多く発表されている児童作品の中には、衝撃的な体験談を元にしたノンフィクション作品も発売されているからだ。
そうした内容を女性しか書けないと一言で分断してしまうと、閉塞した中でしか生まれない作品ばかりが登場してしまう。それこそ表現の自由を侵害していると言いかねない事態を引き起こしかねない。
作品に対する好み
文学作品についていえば必ずしも女性が書いた作品が女性への圧倒的な支持率を集めるといったようなケースが必ず怒るとはいえないものだ。男性にも共通しているが、女性が執筆したとある児童文学作品が同性はもちろんのこと、子供にも人気を博すといった事は必ずしも言えないものだ。そうした現象が起こる理由には、単純に誰しも作品の世界観が好みが発生してしまうからだ。そうした意見を画一化することは出来ない、先に紹介した松谷みよ子さんや工藤直子さんなどの著名な児童文学を出版している人たちも決して例外ではない。どうやって好きか嫌いかを見抜くかは、やはり読んでみなければ始まらない。読まない限りは作品に対して正当な評価を下すのは不可能だからだ。
現在、某有名通販サイトにおける児童文学作品の売上ランキングを見ると、直近で起こった松谷みよ子さんが逝去した一件を受けて、軒並み松谷さんが執筆した作品が上位を独占している。本当に読みたいがために購入している人もいるのかもしれないが、そうではない目的を持って購入している人もいるため、一概に人気だとは言い切れない部分もある。
そういったことを含めてそのランキングをさらっと見てみると、特に最近出版されているような児童文学と呼称される作品が上位にランクインしていないという点だ。あくまで現時点での順位となっているため、これも断言できるようなものではないので追記しておく。
ただそうした児童文学の中で個人的に気になる作品が人気となっているのが気になった。
ノンフィクション作品はいつの時代も衝撃を与える
松谷みよ子さんの作品が多数売れている中で筆者が一番気に止めたのは、作者自身が実際の戦争体験を元にして描いたノンフィクション作品の小説だ。この作品の中で表現されている内容はすべてが事実として記されており、戦争を知らない子どもたちに取っては衝撃を与える内容となっている。そうした内容を読ませることも児童文学にとっては必要なことだとも考える。
物語と呼ばれるものは全てにおいて完全なフィクションで描くこともできるが、それでは物語に重厚な感覚を与えるといったようなことは中々出来ない。説得力を持たせるためにはやはり何かしら作者自身の体験談を織り交ぜている。しかしここで紹介している戦争作品は全てにおいて実際の日本で起こっていた内容を元にして描いている。戦いを知らない、今どきの日本の様子しか知らない子供にとっては全てがフィクションで表現された世界を是とする考え方が普及してしまっていると、そんな風に感じられる。
悪くはないが、ただこうした実体験を元にした作品を読んでも現実感を感じるかどうかは、やはり読み手次第といった部分が否めない。
今後の日本児童文学について
これからの日本児童文学において成功する、という言い方は難しくなるかもしれない。不況という影響もあるが、要因となるものは様々だ。そうした中で本当に女性だけといった閉塞した環境で大成するとなるのは、今後難しくなってくるだろう。女性だからこそ描ける心理描写は確かにある、ただ作家として見れば1つの作品で長く生き続けられる事はまずない。その後も連発してある程度世間に認められる作品が登場しなければ、作家というのも仕事として成り立たない現実が待っている。
本質的には夢を与える児童文学という作品も、現時点では様々な方向性を見出すために模索している部分は何処かしらに存在している。