児童文学というジャンルを広げた1人
工藤直子さん話をしていると、ふと思い出すのは本当につい最近起こった児童文学界において衝撃的な話題に関しても触れておく必要がある。それは日本が戦後間もない頃から作家として活動しており、女性ながら数多の作品を出版しては、多くの作品が世間としても評価されている『松谷みよ子』さんという人を忘れてはいけない。ニュースを見ている人ならある程度知っていると思うが、つい先日の2月28日に、松谷さんが老衰のため89歳で永眠してしまったというニュースだ。
年齢から考えると、彼女の作品はまだまだ現代で利器が登場して便利という言葉で充満した世界とは違った、未発達の日本で大いに活躍する女性の一人として数えてもいい作家だ。松谷みよ子という文学作家を今日この場で初めて知った、もしくは名前しか知らなかったという人がいても不思議なことではない。児童文学といっても必ずしも子供が読むとは限らない、生来文字を読むことを得意としていないような人だったら、あえて見て見ぬふりをすることもあるだろう。文学と言っても好きな作品があれば徹底的に読む人もいれば、そうでない人がいるのはもはや自然なことだ。
ただ松谷さんに関して言えば知られすぎている児童文学家の1人だった。そんな松谷みよ子と呼ばれる女性作家について、少し話をしていこう。
最初から作家を志していたわけではなかった
松谷さんが生前歩んできた道のりを紐解いてみると、始まりはやはり順風満帆だったとは言い難いところだ。そもそも本当に作家として大成するのを目指していたかどうかについては、根拠を裏付ける資料などもないため万が一を考慮すると無制限の力を持ってして好評は阻止される。時代事によっては仕事で確かな結果を導き出しても、正当に評価される事はなかったといってもいい。特に女性ともなると、それまでの歴史において彼女たちに対する世間の目が非常に厳しかったことも関係している。
時代の荒波に流されながらも何とか活動していくことは出来た。そして彼女が本格的に作家として軌道に乗りだす時期としても丁度その頃で、詳しい西暦や時節などを紹介すると、1951年の事になる。長く、そして疲弊した日本が立ち直るためにもがいていた時、松谷さんは児童文学者に対して送られる『児童文学者協会新人賞』を受賞した。
松谷みよ子さんの代表作
松谷みよ子さんが真の意味で児童文学作家として、そして彼女が本当の意味で子どもたちのために創りだした作品の代表格と呼ぶべきものも誕生している。それは現代にまで語り継がれ、呼んでいる人は幼少時に何度となく読み返していたのではないだろうか。松谷さんの代表作といえばいくつもあるが、その中でもやはり注目したいのは自身の子供をモデルにもしている『モモちゃんとアカネちゃんの本』だ。
時代を投影した世界観
モモちゃんとアカネちゃんの作品はシリーズ化され、その内容の深さと子供を持つ親ならではの心象心理と子どもならではの世界を独特な表現によって再現・構築したことで、多くの読者支持を集めた。結果として、彼女が一人の文学作家として大成した作品として知られたものであり、子供を持つ親たちからは最初に読ませたい本だと答えている人も多いという。
ただ一部内容が衝撃すぎるため、人によってはあまり読ませたくないと考えている人がいるのも事実。どうしてかというと、その理由には物語の冒頭部分にはまず主人公一家の父親が亡くなってしまうところから物語は全ての始まりを告げるのだ。こんな内容を児童文学などと定義できるものかと異議を出す人もいた、しかしそれでも慕われ続けていたのはそれだけ多くの読者を掴めるだけの表現力が内包されていたとも、考えられる。
平和を意識した作品内容
また世界大戦という激動の時代を生き抜いたこともあって、松谷さんの描き出す作品には度々『世界平和』という物を連想させる内容をテーマとしている節が数多く出版されている。戦いというものを経験しているからこそ出せる、そして子供を持つ親だからこそこれからの時代、何不自由することなく、命の危険にさらされることなく生きて欲しいという思いも強かったのだろう。
亡くなるまでにも、積極的に生死を始めとしたどう考えても児童文学というカテゴリーから考えれば、かけ離れたテーマを内包した作品を多く発表し、読み物として手に取る子どもたちに広く心で何感じ取って貰いたいという願いが込められている。晩年の頃、命というものの尊大さが多く問われていた中で松谷さんの作品は感じ入る部分が多々ある。命をどのように見ていくか、またこれからの時代に何が必要とされているのか考えさせられる部分がたくさんあるため、多感な時期だからこそ呼んでもらいたい作品を松谷さんは広く世に訴え続けていた。