子供のためには作られていた
児童文学と言ってもいろいろな定義が存在するということを理解して貰えればそれで十分だが、こうした考えは児童文学という存在が確立されてからそれほど時間が経過していないのだ。そもそも初期、特に児童文学の発祥ともいうべき地となったイギリスにおいて、どのような物を児童文学と呼んでいたのかを考えてみる。
極端にその流れは大きく変遷していないだろうと思っている人もいると主うが、歴史を紐解いていくと見えてくるのは子どもというよりは大人の意見を元にしたような作品が一番だというものが集中している。ではどんな作品が多いのかといえば、何と言ってもイギリスの児童文学といえば一番印象が強いのは、ファンタジー作品だろう。
イギリスを起源としたファンタジー作品の原点はいくつもあるが、中でも有名な作品としてあげるなら『アーサー王伝説』シリーズは鉄板といえる。実際に物語を読んだ人もいるだろう、日本でもこのアーサー王を題材にした作品が数多く制作されているため懐かしくなったり、改めて好きになった人もいるかもしれない。こう考えるのは自然なのだが、当時のイギリス児童文学というものでは、むしろ子供が好むという意味合いは込められてはいなかったという事実を知る必要がある。
ファンタジーというジャンルが出始めたのは、19世紀頃
今でこそイギリス文学、中でも児童文学においては数々のファンタジー作品が誕生したと言われているが、それも児童文学と呼ばれる概念が誕生した当時から続いているものではない。では当初児童文学と言われるものが本当に子供のためを考えた読み物として作られるようになったのは19世紀頃のことだ。それまでの児童文学と呼ばれるものは大半がノンフィクションを採用しており、また当時は児童文学の中身は宗教めいた、非常に偏見的な意見が内包された内容の作品が多かったという。これを聞くとイギリスらしいとも感じられるが、少なからず最終的には大人の意見が採用されて今の児童文学という足場が形成されたという事実だけは認識しなければならない。
もちろん国や大人たちが自ら介入して児童文学というものを生み出していくわけだが、そうした歴史の転換期はどの部分で来たのかというのを紐解くとまた違った面でイギリスを知ることが出来る。
空想的要素は不要と思われていた
子どもたちのために作らえたファンタジー作品、そんな印象を持っている児童文学だが実際にそう思われ始めたのは19世紀半ば頃の話だ。それまで児童文学というものは宗教めいた、どこか現実を連想した作品ばかりが作られていた。本来なら子供に夢を与えるというのが定説のように思われるも、それもまた現代ならではの考えでしか無い。当時の大人たちは子どもたちが読む本には、現代ではよくある空想力を働かせる書物という存在は不要であったと考えていた。だからこそ現実の宗教やその他に関する内容のものが多く採用されていた。
どうしてかという理由については、単純に当時の子どもたちがまともに文字を読めなかったというのも関係している。18世紀頃の話では識字率はお世辞にも良くはなく、まともに子どもたちが文字を読める用になるまでには時間がかかっていた。このように、当時の子供はそういう意味からしても、自由というものから掛け離れた存在だった。そのため児童文学においても宗教の説教めいた内容のものが多く採用され、さらにはそうした作品においてより現実的な側面からのアプローチが掛けられていたことも関係して、現代でいうところの児童文学とは全く違った性質だったことを知ることが出来る。
子供を楽しませる本へと変化
自分たちの意志で、好きなときに読めるようになったことで児童文学もまたそうした子どもたちの意思を汲み取って変化をきたしていく。それが現代の意味合いにも近くなる子どもたちが様々な空想を働かせる『フェアリーテイル』といった寓話へとその意味を固定化していく。そこから先には誰もが知るところのイギリス文学らしさが出てくると思っていいだろう。また文学書としての中身もまた後の世に伝えられる名作たちが誕生していく契機にも繋がっていくので、好きな人はトコトン好きな世界観と邂逅できるのも魅力の1つだ。