国民性が感じられるからこそ
先に紹介した作品は誰もが知るところだ、子供はもちろんだが大人の中にはそうした作品の魅力に虜とされてファンになってしまったというケースは珍しい話ではない。日本でもそうだが、特にイギリスの人々にしてみればそうした作品をただ『児童文学』というカテゴリーに当てはめて考えているかどうか、というのも疑問符が出てくるところだ。何せそうした作品に登場する世界観は、確かに地域ごとの風習など細かい部分に差異はあるかも知れないが、基本的にはイギリスならではの国民性を重視した内容を基調としている。それを実際に住んでいる人々が嫌う所以もなければ、道理もない。
そうした丁寧な世界を表現しているからこそ、イギリスの文学作品は世界で高い評価を受けていると言ってもいいだろう。日本でも大学の専攻として英文学にしたいと考える人が多く、とりわけ万年人気の高い学部となっている。こうしたイギリスの児童文学として誕生した作品の数々を見て、そこから感じ取れるのは子供だけを対象とした読み物ではないということだ。その内容はとても繊細で、巧みで、あらゆる要素を孕みながらも多くの人に愛される作品として存在感を主張している。
子供が読むためだけのものではない、イギリスの児童文学とはそうした価値も備えている。
イギリスの児童文学というもの
イギリスの児童文学には常に『ファンタジー』というものが深く、世界観として根強く浸透している。その中でも特に有名どころといえば、『旅』と『妖精』という存在だ。前者についてはイギリスが島国で、かつてはそうした意味合いでも国として船旅をするのは普通だった。後者については古くから、各地で根付いている妖精信仰ともいうべき風習が残されており、それらを下地にした題材作品が多く見られる。
どちらもそうだが、やはり印象的なのは後者の妖精についてはイギリスの文学作品だからこそ為せる業だとも定義できる。民間伝承として古くから各地に伝わるそうしたお伽話だからこそのテーマを持ち出すことで、幻想的な作品を世に多く輩出していった。その結果として指輪物語などを始めとするファンタジーの名作と呼ばれるものが多く登場している。
日本でも人気
こうしたイギリスの児童文学において頻繁に用いられる文学作品の世界観にて採用される妖精という象徴は、日本でも愛好されている概念だ。そういう意味では日本にもそういった意味合いの概念は存在している。全ての事物には命が宿っているという概念、八百万の神というものだ。日本神話においてそれらが活躍するのは天岩戸に引きこもった天照大御神を引きずり出すため、宴会騒ぎをするといった話を想像する。
日本神話も諸説あるが、様々な国の神話を参考にして作られたと言われている。そのベースとなった話の中にはイギリスの妖精信仰といったものも関係して、題材としたものもあると思う。イギリスにおける児童文学とは、そういった意味でも年齢的な制限を設けることなく、幅広い年代に親しまれる作品を作り出しているのも1つの特徴だろう。
現代になるほど、突拍子もないファンタジー作品が多く登場する
原点こそノンフィクションの、宗教の説教をするために作られた本としての性質が強かったイギリスの児童文学だが、子どもたちが自分で本を読めるようになり、自分の力で読書するだけの能力が上がったことで、それまでにはなかった児童文学として新たにファンタジー要素が付加されていった。その後20世紀になると児童文学と呼ばれる作品はファンタジー要素が大いに取り込まれるようになり、多くの人々を楽しませる娯楽としてもその地位を独占するようになった。
そういう意味ではハリポッターシリーズという、世界的なヒット作として知られるそれも児童文学の一種と、そう思っていいだろう。そうした児童文学として確立された特徴はやがて時を超えて現代の日本にも広く伝播され、多くの作品が読まれるようになった。そして様々な名作を生み出すきっかけにも繋がっていき、多くの作家が誕生する契機にも変質する。イギリスの児童文学と呼ばれるそれらを知ると、そうした歴史的背景も読み解くことで日本に多大な影響力をもたらした文学ジャンルである、子供だけと限定された世代にしか愛されないという固定観念を覆す、老若男女問わず楽しめる作品へと進化した。