児童文学という文学について
児童文学と呼ばれる作品は誰もが知るところである、そう位置づけていいだろう。年代にもよるが、幼少の頃に作品問わず読んだ経験がある人は多いと思う。児童文学というと子供が読むための本、というふうに定義づけることも出来るが、そうした作品を見てみると大半の作品は子供に分かる内容で制作されているものと見受けられるが、そうとは言い切れない部分も少なからず介在している。子供でも読める作品とはいっても、そうした作品が描き出される世界観は子供が理解できるようなものではないという印象が強い。
こうした作品を制作しているは子供ではなく、すべての作品において大人が作っているものだ。同い年の子供も制作しようと思えば出来るのかもしれないが、作品として出稿するような段階に進むというのはさすがに難しいところだ。ただ子供が読む作品を大人が製作する、というのも並大抵なことではない。物を作り出すという意味でも、簡単に作り出せるほど簡単なものではない。そもそも児童文学作品と呼ばれるものが、本当に子供のためにあるのかと疑問に感じるような作品ばかりが多いと感じる人は少なくないはずだ。
1人の人間によって創られた誰も見たことのない全く新しい物語を見て、子供たちはそれら作品を読むことで色々な物語の背景を読み取れる。ただ最近の出版状況などを鑑みたら、こうした児童文学と呼ばれる作品を本当の意味で読書している人は、実のところ少なくなっているのかもしれない。現代ではゲーム機などの利器を活用したものが多く溢れているため、子どもたちのほぼすべてがそうした方向へと傾倒している感は否めない。そういう行った側面から入り込んでも今後の児童文学はどのように変化が求められるかは重要なところだ。
そんな中で現在の日本児童文学もある出来事が発生しているなど、巷で話題を醸し出している。そうした中でここでまず最初に紹介していくのは、往年の児童文学作家として名を馳せている『工藤直子』さんについて話をしていこう。
工藤直子という児童文学作家
まずは工藤直子という作家について紹介していこう。近年の作家、特に児童文学作家として活躍している人たちに共通しているのは、主に女性が多いと言われている。作家と言っても文学家に限らず、その他の出版関係に携わる人としての意味で多くの女流作家が世に輩出されている。その中でも工藤直子さんは女性作家として活躍するまでの礎を築いてきた1人であり、彼女の作品を知っている人にとっては尊敬すべき偉大な作家としても見られることもあるだろう。
そんな工藤氏だが、文豪という肩書きを手に入れる前にはコピーライターとして名を馳せていた時期もある。ただその当時は女性もまだまだ働き口が狭く、男女雇用機会均等といったそんな時代において女性として初のライターという仕事を受け持っていた。その後自身の活動のために当時勤めていた企業を退社してフリーへと転身すると、その後はライターとして確実にキャリアを積み上げていく。しかしそうした活動もしている一方で、作家としてもその実力を発揮するように作品を発表し続けた。
工藤直子という文学家を知っている人、幼い頃に制作した作品を閲覧していた人には懐かしいと感じる人もいると思うものとして、『のはらうた』というものを例にして話をしてみよう。
のはらうたと呼ばれる作品
のはらうたを幼いころに読んでいた人もいるだろう。この作品は工藤直子さんにとって彼女が作家として広く世に認知される作品として地位を獲得し、現在でも作品の世界観から多くのファンを生み出していった名作の1つとして知られている。
どんな作品なのかというと、この作品で主人公である語り部は人間ではなく、虫や植物に動物、更には風景などが物語の主軸として活躍する物語となっている。子どもならではの、特にあらゆる存在に対して知的好奇心が強く働く時期には非常に興味をそそられる内容だ。大人が見ると不思議な世界観と、独特な存在感に圧倒されるところは魅力として表現されている。
当時発表されていた児童文学作品としてもある種特徴的と言える内容も挙げられている。またこの作品を題材にして実際、歌としても歌詞には本文で使用されている言葉を歌詞として利用しているものも発表されている。実際の歌として採用された点で言うなら、
- (1):作品が全体的に立体的な作り方を形成している
- (2):読みやすく、歌として活用する際にも楽しく使える
- (3):単独では歌えないが、2人以上の人員とピアノやキーボードなどが用意できればいつでもどこでも歌える
というような利点があると専門家は話をしている。
遅くても小学生の頃には学習商材としても利用されているものだけあって、人によってはより多くの機会に触れながら作品と邂逅していた人もいるだろう。
女性だからこそ出来る?
こうした作品を制作しているのは女性が中心となっているのは、実際に女性が子供を産んで生育していくために子どもと触れる機会も多いからこそと考えられる。もちろん男性も自分の子供と触れ合うことはできるが、やはり圧倒的に女性と比べたら子供との時間の作り方は桁違いだ。そういう点からも女性たちが描き出す児童文学は多くの人の愛され、愛好されていると結論付けられる。